HOME 家庭的保育とは 保育所との違い 保育の様子 あゆみと動き リンク
各地の情報 講演会・研修会 出版物 会員募集 あそびの玉手箱 お問い合わせ
保育者からの メッセージ 保護者からの メッセージ 家庭的保育を 始めたい方へ 応援メッセージ NPO法人家庭的保育 全国連絡協議会とは
保育者からのメッセージ
東京の江東区で家庭福祉員をしている。
「家庭福祉員」と言うと、それはどのようなボランティアですか? それとも、青少年を更正させるようなお仕事ですか? としばし訊かれるので、一般の方への認知度は相変わらず低いのだなぁと思う。
家庭福祉員とは東京都が昭和35年度に、保育園の補完的役割としてスタートさせた制度で、生後5週くらいから3歳未満の乳幼児を、自宅を開放して保育する仕事である。一口で言えば、少人数による家庭型保育のことで、福祉員は通常は「保育ママ」と呼ばれている。
今でこそ、認証保育所や駅型保育などが充実してきて、保育時間の延長や、産休明け保育の受け入れなど、働くお母さんの環境が整えられつつあるが、ほんの数年前まではゼロ歳児を一箇所に集めての集団保育に踏み切る園は少なく、働かなければならないお母さんたちは本当に困っていた。
家庭福祉員は、その隙間を埋めるべく、早朝保育や延長保育をいとわず、保護者の要望や乳児の動きに添える軽いフットワークと、きめの細かい保育で、40年以上に渡ってお母さんやお父さんを側面から支えてきた。現在ではこの家庭型保育の良さが見直されてきて、全国の自治体でこの制度を持ち始めたところも多くなった。
受精卵は母親の子宮のなかで、海水の塩分とほぼ同等の羊水(ようすい)という水の中に浮かびながら、胎児としての形を秒速単位で整えて成長していく。妊娠の10ヶ月間は、生物が地球上で進化してきた歴史を全て見せてくれる神秘的なドラマである。
本来、多くの動物は生れ落ちた瞬間には立ち上がるようにできている。立ち上がれないような弱体個体は、厳しい自然の中で生きぬく力なしとみなされて、見捨てられる。原野で出産された子馬が、折れそうに細い四肢をふらつかせながら、数時間後には母親にぴったり寄り添って歩き出す様子なども、時々テレビで観ることができる。
生まれたら数時間後には一人で歩き出すことが動物の生きていく上での不可欠条件であれば、動物である我々“人属”も歩き出せるまでの20ヶ月余りを、胎児として母親のおなかに収まっていなければいけないことになる。歩き出さない前に生まれてしまうのは、人が二足歩行に移行したからとか、脳の重さによるものだとか、いろいろ聞いたことはあるが、真理の程は私には分からない。
動物的には未発達とも呼べる形で生まれてくる人間だから、誕生から歩き出すまでの間はしっかりと手がかかる。が、本来ならば体内で成長するはずだったものを目にすることができるということで、この時期の発達に寄り添えることは、乳幼児保育にかかわる醍醐味でもある、と私は思っている。
数年前に言葉の発達の早い1歳の女の子をお預かりした事があった。「マンマ食ベマチュカー」などの赤ちゃん言葉は使わないほうがいいということは、今時のお母さんには浸透しているから、最近はあまり使われなくなったが、この女の子のお母さんはその対極で、大人に話しかけるように丁寧に、しかも正しくきれいな言葉で何でも説明をしてやっていた。それにしても、1歳の子供にこれほどの正しい言葉での説明が必要なのかなぁ、どこまで理解できているのかなぁ、と私は少し離れた距離で見ていた。
「春だから芽が出るのよ、この葉っぱ小さくてかわいいね」。
「雨が降ってきたわ。少し冷たいわね。手を出して雨に触ってごらん」。お母さんの話しかけを女の子は一所懸命聞いていた。私は女の子の初語とその後の発達が楽しみになった。
やがて女の子はしゃべりだした。「カピカピカピ(ピカチュウのこと)」、「ワンワン」、「イナイイナイアー(いないいない、ばあー)」。翌月には「アァァ〜(嘆きの言葉)」「パン」など。そして初語から4ヵ月後にはもう大人の会話のようなイントネーションを確保していた。「終ッタ」、「ゴボウ」などが物事の行動や名称との一致をみた。
5ヵ月後には2語文が出た。「ココニ来テ」、「マニャマニャイイノ(まだまだいいの)」。そして言葉は次々と足されていって「アッチ」と「コッチ」などの位置関係や「オーワッタ、サッパリサッパリ(終わった、さっぱりさっぱり)」など感情の表現も見事なものになった。
「言の葉」と名づけた私のノートは、彼女の言葉の記録でいっぱいになった。
物事の理解は活発な行動を呼び、おもちゃのオープンカーに必死に片足を載せようとしている姿や、突然に手をたたくことを繰り返すので、その原因を調べたら、実はスーパーマーケットの魚売り場のおばさんの手を打って客寄せをする真似であったりして、いづれも大笑いをした。お不動様の護摩焚きの太鼓の音に乗って踊りだしたときは、私は小脇に抱えて深川公園に連れ戻した。
お母さんのしっかりした話しかけが功を奏して、とても感性豊かな女の子になっていった。とっても楽しい一年だった。
二人乗り用のベビーカーに乗せて散歩にでるから街の人もよく声を掛けてくださる。「かわいいわねえ。でも、こんな小さなうちから預けられてかわいそう。お母さんのもとが本当はいいんでしょ」。年配の人からかけられる声にはこのようなセリフが時々混ざる。ああ、また“母性神話”か。ちょっと悲しい。
「昔、子供はみんなで地域の中で育てたではないですか……。今の時代、たくさんの温かい手の中で育てられる子はむしろ恵まれているのですよ。預けられる子は決してかわいそうではありません」。私の持論を声を大にして言いたいけれど、道路での立ち話ではちょっとと思って、いつも言わないでいる。